FC2ブログ
相馬での農薬散布
薬剤散布(相馬)
阪神淡路大震災の前日のことを書いてみたが、震災つながりで古い写真を探した。これは写真の日付のとおり1983,年6月15日の早朝、相馬の海岸で整備士が撮ってくれたもので、松くい虫の駆除のための散布である。ここは東日本大震災で跡形もなく消えたところである。奥の背の高い松の散布を終えヘリポート近辺の若い松を散布しているのだが、日が高く上がると海岸ということで風も出てくる。当然高度を低くしてまかなければならない。
ところで災害大国なんてテレビや国の代表とあろうものが口にしているが、自慢したりするものではない。数万人が巻き込まれ、亡くなっているのに防災会議とやらを開いて海外へ技術を売り込んでいるのは疑問である。原発事故の後始末もできてないのに原発の技術を売りにすること事態おかしいことである。攻撃的な政策で皆が豊かになるというのは、数字的に国が豊かになったと錯覚するだけで格差社会は悪くなる一方である。アベノミクスという言葉を歴史に刻みたいだけなのではと思うのである。

スポンサーサイト



未分類 | 15:32:36 | トラックバック(0) | コメント(0)
波状雲
波状雲
昨年(2014年)の10月10日の夕焼けである。この日は各地で広範囲にこの波状雲が見られたようである。地震雲などと書いて投稿した人も多かったであろう。しかし地震は起こらなかった。これはいろんな説があるが地形の影響や上空の大気の動き(乱れ)で海の波のようなでき方をしたものである。飛行している者は、なるべく近づきたくないところである。この写真の中央に線が見えるがファイターか旅客機が通ったか、その上空で飛行機雲ができた影が映っているのかもしれない。この日は台風の接近でこのような波状雲ができたのであろう。地震といえば1995年1月16日に山梨から八尾、岡山までフライトした日のことである。午前7時に離陸し一路大阪八尾空港へ向かい9時に到着。燃料を補給し天候をチェックし午前10時に岡山へ離陸した。その日は夕方、西から天気が崩れてくるという予報だったが昼間の予報としては飛行には問題ないと判断していた。ところが2時の離陸予定が3時に遅れたのである。岡山はVMC(有視界飛行状態)ぎりぎりで離陸し、荒天に追いかけられながらのフライト。山沿いは雪のため雲が低く雪で視界も悪かった。500FTで瀬戸内海を飛行することになった。明石までようやくたどり着いた。なんと神戸、大阪だけはポッカリ晴れていた。周りは京都、大津、関ケ原までは雪だった。大津を超えられなければ神戸ヘリポート泊の予定と副操縦士に話していた。とりあえずチャレンジしてみた。大津の高圧線を超えるのがやっとのことだったが何とか超えることができた。農薬散布の経験が生きた。そこを過ぎると琵琶湖を低く飛び、関ケ原までも気が抜けない状況(雪で前が見えない状況)だった。関ケ原を過ぎると名古屋は快晴。そこからは平穏に山梨へとたどり着いたのである。翌日、出社したら大パニック。ご存じのとおりの震災であった。お客様からお礼の電話を頂戴したのであった。昔の写真を見つけたので懐かしくなり書いてみた。

未分類 | 14:11:06 | トラックバック(0) | コメント(0)
謹賀新年2015年 お正月飾りのタイミング 
2015謹賀新年
謹賀新年 2015年も元旦に初詣へ近くの神社へでかけた。例年に比べお参りする人が半分以下に減っていた。境内は閑散としており出店も少なく、景気が影響しているのであろうか。地方まで○○○ミクスとやらの恩恵は受けていないようである。さて、今回は、お正月飾りの飾る時期、おろす時期などについて書いてみる。子供のころは田舎で育ったので、お正月飾りは、「松」、「竹」、「梅」、「榊」、「裏白」、「譲り葉」などは里山で採ってくるのが役割であった。今はセットで売られているが当時は各家庭で作っていたものである。「門松」や「注連縄(しめなわ)」は12月20日頃から12月29日や31日は除いた日(12月中)に玄関先に飾り、お正月を迎える準備をします。外すのは「門松」は1月7日(松の内)。この日は「七草粥」をいただく。「注連縄」は1月15日に外し、「門松と注連縄」はどんど焼き(1月15日)で神社やお寺でお炊き上げしてもらう。場所によっては違う場合もある。
「初詣」は、1月7日(松の内)までに済ませるとよい。
「鏡餅」は、鏡開きの1月11日に崩して焼いて食べるか雑煮やお汁粉、ぜんざいに入れていただく。このとき鏡餅は、包丁を入れないで割って食べる。現実には硬いのでそうは言ってられない。
年賀状は1月7日過ぎに出すときは「寒中見舞い」としてだし、新年のあいさつは1月中旬までに済ませるのが慣習のようだ。

未分類 | 11:37:29 | トラックバック(0) | コメント(0)